田で米を作り、畑では寒さに強い稗(ひえ)・粟(あわ)・麦・そば・大豆・大根・じゃがいもなどを作りました。
機械を使わなかった昭和30年代までは、土をたがやしたり、刈り取り、だっこくなど、すべて人の力で行いました。
4月 | 種にするもみ(からのついたままの米)を水につける |
5月 | 苗を育てる専用の田(なわしろ田)をたがやし、水を入れる |
なわしろ田に種をまく | |
6月 | 苗を植える田をたがやし、水を入れる |
なわしろ田で育てた苗を植える(田植え) | |
7月 | 田の中の雑草をとる |
8月 | 田の中の雑草をとる |
9月 | 田の中の雑草をとる |
10月 | 稲刈り・稲の乾燥 |
11月 | もみ(からのついたままの米)を稲からはずし、からをむく(だっこく) |
きねでついて、白米にする |
4月 | じゃがいもを植える |
5月 | 稗(ひえ)・粟(あわ)・大豆の種まき |
7月 | にんじん・ごぼうの種まき |
8月 | じゃがいもの収穫 |
9月 | 大根・白菜・そばの種まき |
稗(ひえ)・粟(あわ)の収穫 | |
10月 | 大豆の収穫 |
11月 | にんじん・ごぼう・大根・白菜・そばの収穫 |
八戸は、古くから漁業が盛んでした。
それは、八戸の海には魚や貝、海草が豊富だったからです。
網でイワシやカレイ、釣りでイカやアブラメなどをとりました。
磯では、もぐってアワビやウニ、舟の上からコンブやワカメなどをとりました。
現在は、日本で有数の水揚げを誇ります。
(平成13年度水揚高日本一)
ウニやアワビは、潜って獲るのが確実で良い方法でした。
フンドシを締めて、水中メガネを付け、手にウニやアワビを引っ掛けて獲るためのカギと、獲物を入れる網の袋を身に着けて潜りました。
現在、八戸は世界有数のイカの水揚げがあります。
イカは九州北部で生まれ、北海道まで回遊し、また生まれたところに戻って産卵して一生を終えます。寿命はわずか一年で、八戸沖を回遊してくる頃(夏から秋)に、イカ漁が盛んに行なわれます。
かつてイワシは、八戸の漁業を支えている重要な魚でした。
江戸時代より、浜辺で地引網によるイワシ漁が盛んにおこなわれ、明治時代になると巻網が導入され、沖へ出て漁をするようになりました。
化学肥料がなかった頃は、イワシを煮出して絞り、乾燥させた「シメカス」が最高の肥料とされ、江戸時代より、八戸で作られたシメカスは全国に出荷されました。
タラ | 10月~翌年3月 |
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イサザ | 5月~8月 |
イワシ | 6月~12月 |
イカ | 6月~12月 |
タコ | 10月~翌年3月 |
カレイ | 一年中 |
アブラメ | 一年中 |
ウニ | 6月~7月 |
アワビ | 11月~翌年7月 |
ワカメ | 6月~7月 |
コンブ | 8月~9月 |
八戸市大久喜地区にあり、昭和47年に寄贈されました。かやぶきの寄棟造りです。幅4.75m奥行5.70m広さ約27㎡です。江戸末期から明治初期の建築と見られ、漁具の置き場や製作修理の場として、昭和30年頃まで実際に使われていました。現在市内に現存するかやぶき屋根の浜小屋は、この1棟だけです。
北は市内の市川(三菱製紙付近)、南は岩手県久慈市・葛巻町、西は名川町などでした。また、志和4ヶ村(花巻市紫波の一部)も含まれていました。
領内の人口は、全体で約6万人でした。
八戸市大字鮫町字大作平44-129
・八戸市中心街から車で35分 大久喜小学校そば
TEL.0178-44-8111
FAX.0178-24-4557
江戸時代より八戸では城下町をはじめ、領内で商業が発展し、地元の水産物や農産物、江戸・大坂(大阪)などから仕入れた衣料や日用雑貨などが売り買いされました。
お金の出し入れを書く帳面
お米や豆などの量をはかる
お金を入れる昔の金
昔の四角いお金を数える