明治時代の服装は、つづれという着物を着て、ももひきというズボンのようなものをはいていました。女性は、三幅前掛け(みはばまえかけ)をしました。
着物を買える家はあまりなく、母親が家族の分を作りました。麻を栽培して糸を作り、それを機織り機にかけて布を織り、その布を縫って作りました。このように気が遠くなりそうな作業を経て、一枚の着物ができました。ですから、着物はとても貴重なものでした。
一般の人が洋服を着るようになったのは、昭和時代になってからです。
麻や木綿の布を、藍(あい)で染めました。少しでも丈夫にするために、全体に細かく糸を縫っています。
三枚の布を縫って作られることからこう呼ばれます。
両端には紺色の布、真ん中に模様がはいった布を使い、これが女性のおしゃれでした。
股(また)が見えるのを防いだり、ひもが帯がわりになるため、作業の時は必ずつけました。
ぞうりやわらじなど、わらで自分で作りました。
下駄は買わなければならないので、やや高級品でした。
昭和中頃までは、主食は稗(ひえ)でした。おかずは、みそ汁と漬け物だけというのが多く、イワシの塩漬けを焼いて食べるくらいでした。お米だけのご飯を食べるのは、大みそかや正月だけでした。塩鮭(しおざけ)やくじら汁が最高のごちそうでした。
稗(ひえ)めし・みそ汁・漬物・焼いた塩漬のイワシ
米だけのご飯・くじら汁・塩鮭(しおざけ)・豆ふ料理・煮しめ
八戸は寒いところなので、畑での稗(ひえ)やそば、野菜作りが主で、お米作りはあまり盛んではありませんでした。また、お米作りをしている農家でも、お米を売ってお金にして、税金を払ったり、生活に必要なものを買わなければならなかったので、食べることができなかったのです。
木の家で、かやぶき(すすきのような植物)の屋根でした。部屋は、いろりがある常居(じょうい:居間)、台所、座敷が2つ、それに土間(土のところ)と馬屋(馬を飼う部屋)があるというのが一般的でした。
八戸の家には必ずいろりがありました。毎日食べる稗飯(ひえめし)やみそ汁は、鉄のなべでいろりで煮て作りました。
水道が普及したのは昭和30年代です。
それまでは井戸や川から汲んでこなければなりませんでした。水おけで運んで、水がめに入れておいて大事に使いました。
水は毎日使うので、毎日何回も汲みにいかなければなりませんでした。雨の日も、雪の日も汲みにいきました。