米作りが伝わり、農業主体の生活になってきます。青森県にも弥生時代の前期には伝わってきていたと考えられており、弥生時代中期には田舎館村の垂柳遺跡で確認されるように、農業を主体とした生活によって、大規模な村ができるようになりました。そして、村を治める人がでてきます。その村を治める人(豪族)の墓を古墳といいます。
八戸にも、鹿島沢古墳群(根城)や丹後平古墳群(根城ニュータウン)があります。八戸の古墳は、直径7mぐらいの円墳(山のような形)で、7~8世紀(日本の歴史では奈良時代頃)に作られました。大規模に米作りを行っていたことが確認されています。
八戸でも、弥生式土器が発見されており、ある程度の規模をもった弥生時代の集落跡が少しずつ発見されています。